ハンロンの剃刀と高校物理

ハンロンの剃刀という言葉がある。これは

『無能で十分説明されることに悪意を見出すな』

という考え方である。この考え方を聞いてハッとさせられた話を書きたい。

高校生の時の自分が疑問だったのが、『どうしてこんなにも高校の教科書の内容はひどいのか』ということだった。

自分が高校の教科書の内容を完全に理解しているといえるのは、数学と物理だけなので、この2教科に関してしか分からないが、少なくともこの2教科に関しては読者に理解をさせようと思って書かれている教科書は皆無といえる。数学に関しては論理的にあまりミスがない(一部ある)のだが、物理に関しては全く内容が正しくないどころか、教科書内で矛盾した記述が存在する。

それのせいで、物理に関して私は非常に苦手意識があった。自分はたまたま良い師に出会えたので苦手意識をなくせたが、まともな人間には物理の教科書の内容は理解できないと断言できる。

高校生のときは嫌がらせのためにこんなひどい教科書を作っているのだろうと思っていた。あまりにもひどいので高校生の時に教科書を作り直そう、そう考えて教科書を作り始めた。昔から文句だけ言って自分は手を動かさない人種には嫌悪感があったので気軽に始めた。中学生の時から教科書を作りたいと思っていて、LaTeXの勉強を中学の時からずっとしていたので、LaTeXではそこまで苦労をしなかった。しかし分量的に高校生の手に負えるものではなく、全く完成しないまま放置された。

https://github.com/catatsuy/textbook_primary_physics/blob/master/butsuri.pdf

そんな物理の教科書に対する不満を抱えたまま大学生になった。そこでお金を得るために、とある予備校の教材の校正などミスがないか確認をするバイトを数ヶ月ほどやった。物理と数学の両方の試験を受けて合格していたが、人数の問題で物理の教材をメインで見ていた。特にレベルの高い教材は自分の出身大学など一部の大学の人間にしか校正が認められていなかったので、そういう教材を中心に校正していた。

そこでビデオ教材に誤りが無いか確認していたところ、話に理解ができない部分があった。そこで何回も繰り返して見ることでとんでもないことに気付いた。

教えていることに致命的な誤りがあるということである。

もちろん完全に正しい知識を教えることは不可能である。別にそんなことを要求しているわけではない。そのビデオ教材は最初からほとんど見ていたので分かったのだが、教材内で明らかに矛盾があった。

私が適当なことを書いていると思われるのも嫌なので具体的に書く。

運動方程式は静止座標系か等速度運動をしている座標系でしか成り立たない。それ以外の座標系では必ず何かしらの遠心力がかかるはずである。等速円運動をしていたとしても、等速度運動ではないので何かしらの遠心力がかかる。

実は大学受験では回転座標系を使わないと解くのが困難な問題が出ることがある。回転座標系の場合は、座標系自体が回転してるので、その座標系では何かしらの遠心力がかかる。とにかく静止座標系か等速度運動をしている座標系のいずれでもない場合は、何かしらの遠心力がかかるはずで、それは教材内で断言したことである。

にもかかわず教材内で回転している座標系の運動方程式を立てるのに、回転していることを完全に忘れたかのような運動方程式を立てたのである。これは明確に誤りである。その後、エネルギー保存則の式に変換する際に正しい式になるので答えだけは合うのだが、私が採点者なら0点を付ける解答であった。

それについてこの教材内で矛盾しているし、運動方程式は明白に間違っている、ということを社内に伝えた。社内でも最初は自分の言っていることは全く理解されなかった。しかし社内に数人いた物理に詳しいアルバイトの学生が確認して、全員が自分の言っていることが正しいことを主張してくれたので社内でも修正しようという機運が生まれた。

教材を修正したい旨をその教材の講師にしたところ、なぜかキレてしまい、結局誤ったまま無視をして教材を提供することになった。物理のひどい教材のせいで苦労した私にとって極めて屈辱的で、この教材を受けた高校生のことを考えると今でも心が痛んでしまう。

誤った教材を見て理解ができなかった高校生はきっと、『自分には物理の才能がないのだ』と感じるだろう。決してそうではない。理論的に誤っているのだからむしろ理解できる方がおかしい。

結局このバイトはこの事件の後にやる意義を見失ってしまったし、これについて怒鳴ったりもしていたので社員からもビビられる存在になってしまって居心地も悪かった。社員からビビられているので何もしなくてもバイト代が発生するみたいな状況にもなっていたから、見方によってはおいしいバイトだったようにも思うが、結局始めて数ヶ月で辞めることになった。

このことについて大学を卒業した後もずっとモヤモヤしていたが、ハンロンの剃刀の考え方について知ったときにはっとした。

物理の教科書のできが悪いのは陰謀ではない。単純に教科書を作っている人達が物理を理解していないからだ。矛盾した内容の教科書を作っても、そもそも理解していないのだから気付かない。ただ無能なだけで悪意があるわけではない。

ただ悪意がなくても、結局やった行為が悪ならば、それは悪だという考え方もある。高校の教科書に関しては私は悪だと思っているし、それについて理解している人も少ないという状況をなんとかしたいと思っている。

教科書を作りたいという夢は今でもある。以前に本を書くという話が来たときに快諾したのは教科書を作りたいという夢がずっとあったので、おもしろそうと思ったというのが大きい。

catatsuy.hateblo.jp

直近で予定はないし、今後もやらないとは思うが、高校物理の教科書は1から作り直してみたい。ちゃんと理解できて、教科書内に矛盾がないものを。1人では絶対にやりたくないが、もしやる人がいるなら手伝いたい。